#5■作品「トランク」について(2)〜テーマとその周辺について
はん:そもそも「トランク」っていうのは何でトランクになったわけ?
ヤ:トランクを持って、何を持っていきますか?ってことなんですけど。家が石屋さんをしてるんですけど、(ヤスロー君の実家は石材屋さん)やっぱり結局みんな白い骨になるんですけど、何を持って行くのかなって。人生にトランクを持って何を入れようかなって。お金は持っていけないし、好きな人は別々だし。じゃあ何かなって。
例えば、今もこうやって二人で話してて、どっちか明日死ぬとするじゃないですか。ひょっとしたらその二人だけで話してたことは二人しか知らない。そういうの持って死ぬのかなって思ったんです。
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それとか、子供がドラクエやっててスライム10回倒したとする。スライム10回出たっていうのは自分しか知らない。隣の家で同じ様にドラクエやってる子供にこんな弱っちいスライム10回倒すことに、罪悪感とか感じてるかなんて、聞かれないとわからない。そういう自分たちそれぞれの唯一の経験っていうのか。楽しかったり、悲しかったり。そういったような。
ヤ:だから情報に流されないようにしたいんですよね。
100人に聞きましたとか、アンケートとか、市場調査とか。俺に聞いてよ!(笑)って。
俺に聞いてないじゃんって(笑)あれが日本の一般的な考え方とかって言われると困るんですよ。
自分しかわからないことや、自分だけが知ってることってあると思うんですよね。
はん:みんな弱いからね。そういうのに。自分自身より大事にしすぎちゃうときがありますからね。
「自分だけが知ってること」を本当の意味で大切に出来るかどうかって、誰かといても、実は同じことなんですよね。
はん:そういう意味でも今回ひとり芝居っていうのは核心に近いと思うんですけど。
芝居として作るにあたってはどうですか?
ヤ:前作「100万本のばら」はですね、どっちかというと、あれはひとりの人間ともうひとりの人間と、ふたりがいて、ひとりが僕ですね。(もうひとりを、かくもとしほが演じた)今度は自分ひとりでやるんで、二人分を合体しないといけないんです。
はん:前回は相手のいる世界で起こる出来事の中で、ヤスロー君自身の感じるメッセージなり事実なり、真実なりを描く、そういう伝え方だったんだろうけど、でも今度はそれをひとりでやるから、客観的な作品としての世界を描くには、別の側も含めて二人分やんなきゃいけないみたいなことですか?
ヤ:‥でも、なんか出来そうですね。出来そう。
はん:ヤスロー君の作品は、伝える上での作品の位置というものがすごく明確ですよね。作品の「自分」っていうものがあって。一貫性がすごく強くあるように感じるんですが。
ヤ:でも前の「100万本のばら」では脚本からというか設定から入って行って、あんまりポリシーというものはなかった。二人の人が出会って、別れてというのをしたかったんですけど。
はん:あれはすごいハッピーだったけど、それだけに切なかったっていうか。
ヤ:今回は先に物語の筋とかじゃなくて思想があったんです。思想を固めて、それをどう伝えるかというのがあったので、そっちの方がやりやすいと思いました。目的も明確だし、表現も選択しやすいし。ただ、「100万本のばら」とか「もりもりもり」みたいに遊びはあんまりないですね。今回ひとりなんで、話の筋からじゃなくて構成から作っていこうと思ってるんですけど。結構難しいですね。
はん:やっぱり制約が出来ちゃうもの?筋の流れ的なものとかですか?
ヤ:限界ありますね。展開のきっかけとかそういうのどうしたらいいんだろうとか、構成をしたとしても、そこに持って行くのに無理があるんですよ。だから今回世界を2つ作ったんです。思想は絶望から希望なんです。もとの脚本はそうだった。書き直しているのは絶望と希望を別々に分けてしまおうと。
はん:原因と結果っていう、ストーリー展開の中の1本のラインで語るんじゃなくて、両面から光を当てるような?そのあたりはとても重要な気がしますね。
ヤ:でも、苦しみましたね。今書き直してるんですけど、元のやつを作るのにかなり大変でした。芝居を6月にやるわけですけど、脚本を書くのに、6月終わったあとの生き方からまず考えなければいけなかった。喋るには。今回の芝居はどっちかというと、自分のこれからの生き方をこういう風にしたいみたいなことを宣言しようと思ってたんで、芝居の演出とかどうのこうのという部分以前の問題があった。
はん:でもそこらへんがしっかりしてる芝居って、やっぱりいいですからね。
ヤ:書き直してよかったかもしれないです。
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